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こんな形で最終章 [震災]

ブログ更新を止めて約2年、東日本大震災がおきてもう直ぐ1年が経とうとしています。

みなさんおひさ!

いやっもうこの際始めまして!!

本当はこのままブログ止めてしまおうとも思ったのですが、どうしても伝えたいっというか伝えなくてはいけないことがあるような気がして再びこうやって恥を忍んで登場しました(笑)

いったいこの2年間takuiは何をしていたか気になりません??実は

 女性占○師に洗脳されてました!

っという旬なネタはそこそこにブログを止めて1年は別に何をしていたわけではありません。特に理由はありませんが更新する気力がなくなったというのが正直なところですかね・・・・・

さて、タイトルでも書きましたが、これから最終章として再開したいと思います。なぜ最終章かと言いますと、

もう紹介する家がないから 

です。takuiの家は今まで言いませんでしたが、福島県大熊町です。もう紹介するまでもないですが、1年前から世間を騒がせている福島第一原子力発電所のある町です。当然の事ながらtakui一家も避難者となり、現在も避難生活を余儀なくされています。

3月11日以降いったい何が起こったのか?福島第一原子力発電所で何がおこり、takuiはどうしたのか?震災を通してtakui自身が感じたこと、そしてこれからやらなければいけないことは何か?などをこの最終章で紹介していきたいと思ってます。

しかし、Net環境があまり芳しくなく、週に1度程度の更新しか出来ない上に、前のようにお世話になった皆さんの所に遊びに行ってNice!押したり、コメント残したりなどができません。なので皆さんの所へ巡回できないことを前もってお断りしておきます。申し訳ありません。

そして前のように冗談交えた内容じゃないこともお断りしておきます。

まーそれを楽しみにしてる人がいないのは百も承知ですけどね! 

まずは最終章の第1章として震災後takui一家に何が起こったのかを紹介していきます。

言わばtakuiの備忘録といったところですかね。興味のある方はどうぞごらん下さい。

3月11日

14時46分takuiはその時車を運転して発電所近くにあるプラント4というお店の駐車場に着いたところでした。

駐車場に着いた瞬間に車が大きく揺れてます。takuiは「誰か悪戯してるのか?」と思いましたが、どうも電柱も揺れてます。店からは人が走って出てくる姿が見え、目の前に見える建物の窓ガラスが激しく揺れ割れるのを確認しました。

その時初めて「地震だ!」と認識しました。店から出てくる人達は立っていられず座り込んでます。車はさらに激しく揺れ車が横転するのではないかと思うぐらいでした。その揺れが一度おさまりそうになった時、前よりも激しい揺れが再度おそってきました。その瞬間、店の電気は消え、車に乗っていたら横転して危ないと感じる程でしたか、やっと揺れがおさまったのは最初の揺れから5分ぐらいしてからでしょうか「これは徒事じゃない」と直感したtakuiは直ぐに発電所にある事務所へ車で戻ることにしました。

駐車場から出た瞬間僕は目を疑いました。道路はひび割れ、マンホールは500mm程度突き出してます。電柱は傾き道路標識は倒れてさっき通ってきた道だとは思えない程の情景でした。

普通なら5分もあれば十分着く距離なのですが、その時は20分ぐらいかかったでしょうか、何とかたどり着き皆で無事を確認し合いました。数名発電所内に残っていましたが、その人達も程なく事務所に戻ってきて全員集合して事の成り行きを見守ってました。

その日は寒い日で外にいるのはつらい日だったのと、少しでも情報がほしいと思い皆で車に乗りTVを見ることにしました。車のエンジンを掛けTVに写ったのは千葉県の石油コンビナートの火災の映像でした。「すごい事になってるな」と皆で話していましたが、その時はまた気付いていなかったのです。自分のいる現場がもっともひどい事になっていることを・・・・・・・・

それから1時間弱ぐらいした時でしょうか解散命令がでたので家に帰ることになりましたが、渋滞で発電所構内から出ることが出来ません。そんな中車に乗っていた僕を呼び止める人がいます。窓を開けて話を聞くと「DGが止まった。バッテリーを準備してケーブル引かないといけない。電気屋は出来る限り残ってほしい」という内容でした。(今思えばその時津波が来てたんですね。当時はそんな事思いもしまでんでした)その時僕一人なら残ったかもしれません。でも同乗者がいたので「わかった後で来る」と言ってその場を立ち去りました。(もちろん家族が心配なので戻る気は毛頭ない訳ですが・・・)家に着いたのはそれから2時間程してからです。家自体は大した被害はありませんでしたが、家の中はめちゃくちゃでした。それでも総裁が1階だけは綺麗に片付けてくれて何とか生活できるようにはなってました。しかし電気がないので夜は何もすることができません。仕方なく家族全員でその日は寝ることにしたのです。

今にして思えばそれが不運の始まりでした。電気がなくても車でTVやラジオ等で情報を仕入れるべきだったのです。何しろ自分の働いている発電所で世界を揺るがす大事件が起きていたのですから・・・


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