takuiの隠し子は息子の友達 [震災]
わたあめ大好きチョッパーが大好き!
takuiです。こんばんわ
なんでしょうね。オープニングが昔に戻りつつありますね(笑)
今日は少し飲んでるからかもしれません(爆)それでは震災3日目のお話です。
3月13日
船引小学校へ移動して最初の朝を迎えました。小学校での生活はそれ程苦になるものではありませんでした。雨風は凌げますし、暖房もあります。ただ、食料は思うように届きませんでした。朝ご飯が10時頃、お昼ご飯が3時頃、晩御飯が8時頃でしたでしょうか。それでも全然苦になるような事はありませんでした。
町では主要なお店が営業していたので家族全員+2名で必要な物資を調達しに行く事にしました。まずは携帯電話の充電器がなかったので一番に調達しに行きます。そして歯ブラシ等の生活必需品を調達しました。
不思議なもので買い物している時は発電所の事故や自分が避難者であることを忘れる事ができるんですよね。皆で楽しく買い物することが出来ました。
午後になり、takui Jr.の友達2名の両親と連絡が取れて、両親が避難所へ迎えに来ました。両親は泣いて言葉にならないようです。それはそうでしょう。ご両親にすれば耐え難い2日間だったと思います。手塩に掛けた息子が行方不明になり2日間も音信普通になるのですから・・・・
takui jr.の友達はそれぞれの両親と無事再開し親元へと帰って行きました。実は総裁とは「このまま両親と会えなかったら家に子供が2人増えるな。それでもいいか?」などと話してました。総裁も「あんたの隠し子がいたと思えばなんとかなるわよ」と冗談を言ってましたが、正直両親が迎えに来たときは二人ともホッとしたのも事実です。そして再開した親の姿を見て「一緒に行動して面倒を見て良かった」とも思いました。
そうして震災後避難してからの初めて家族4人で過ごす夜となりました。その時の静けさは今も忘れられません。Takui Jr.の友達2人がいてくれて賑やかだったことがどれだけ心癒されたか初めて思い知りました・・・・・
時間にしてたった1日でしたが、明るく振舞ってくれたあの2人がいた事でtakui一家は心癒されていたのですね。面倒見ているつもりでしたが、こちらが面倒見てもらっていた気がする夜でした。
そしてその日は発電所のニュースも目新しいものがありませんでした。(ような気がするっというか記憶が曖昧っというか・・・・・)
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