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たまには旬なネタでも [震災]

AKB48のあっちゃんが卒業するというニュースを見て号泣する娘を見て号泣する。

takuiです。こんばんわ

いやー今日一番びっくりしたニュースですね。あっちゃんファンの総裁2号はショックのようです。

6年間もAKBのセンターを守ってた訳でしょ?サッカーで言えばセンターフォアード的存在ですよ。

野球で言えばセンター・・・・・・

( ̄_J ̄)ん?

いや違うやっぱりエースって言うぐらいだからピッチャーだな。

バレーで言えばセッターかリベロ・・・・・・いやこれでは縁の下の力持ちだな。AKBで縁の下の力持ちと言えば・・・・・[以下自粛]

やっぱりバレーで言えばWスパイカーか?

さおりんかわいいもんね。アタック打った後に女の子座りする辺りが全国の男心をくすぐるというかtakuiの心を鷲掴みしますし・・・・・

バスケで言えばフォ・・・・・

もぉいいよ!

もっと早い段階で誰か止めてくれれば良いのに(笑)

まーとにかくえらいこっちゃって事です(爆)

さて、今日は震災後5日目のお話です。

3月15日

その日朝起きて直ぐに始めたことがあります。それはダンボール探しです。とにかくこの底冷えを解消しない限りこれから先夜寝ることができません。しかし他の人も同じことを考えてます。やっぱりダンボールを探してる人達がたくさんいました。

そしてそんな声がとどいたのでしょうか?下に敷く厚さ2mmぐらいのシートが支給されることになりました。そして毛布の追加支援がありそれを確保することで何とか寒さを凌げるかと思われました。

そしてこの日takuiの記憶にはないのですが、たぶんこの日が4号機の爆発の日だったと思います。なぜ記憶にないかというと、takuiの中では4号機は爆発しないという固定概念があったからです。

4号機は地震当初定期検査中で全燃料を炉心から取り出していました。燃料を取り出していたということはRPV(原子炉格納容器)が開放されていることを示します。原子炉が開放されていて燃料がないのだから大丈夫と考えるのは原子力発電所に従事して、ある程度知識のある人であれば容易に想像できます。

そういった意味で4号機の爆発はtakuiの記憶にはなく、それを映像で見ていても3号機の爆発だろうと勝手に想像してしまっていた訳です。(その後3号機の水素が4号機へ流入して爆発したことを知りますが・・・・・)

ちなみに2号機の(下部への)爆発も後に知ることになります。

さて、その日だったか次の日だったかはよく覚えてませんが、雪が降った記憶があります。外の寒さは容易に想像できると思いますが、コンクリートの上にブルーシートと薄さ2mm程度のシートの上で生活するのは想像を絶するものでした。室内とは言え暖房が行き届いているわけではありません。空調設備はあるのですが、何しろ2000人が入っていてもまだ余裕がある広さです。それでも外にいるよりは全然良かったのですが、底冷えが頭を悩ませます。

それでも日中は毛布を床に敷いて座っていれば何とか凌げます。暖かい飲み物でもあれば何とかなるのかもしれませんが、与えられる飲み物は水だけです。ポットはありましたが、授乳期の赤ちゃんが優先ですのでそれを奪って飲む訳にはいきません。もちろん自販機もありませんでした。

なのでこの15日から避難所を出る18日までがこの避難生活で一番苦労した日だったと思います。それでもtakui一家とMさんは4日程度でしたが、ここに数週間滞在した人もいる訳ですからその方たちは本当に心身共に困憊したことと思います。

後で聞いた話ですが、支給される食事が1日に1食の避難所もあったようです。takuiがいた避難所は量の問題はあれ3食常に頂いてました。その点ではラッキーでした。支給されるおにぎりは冷たくて硬いおにぎりでしたが、その時はものすごく美味しく感じられました。そして「食べ物を粗末にしちゃいけない」と身をもって体験したのと同時に「人は一人では生きていけない」ことを実感できた貴重な体験だったと思います。その気持ちは1年経った今でも忘れてませんし、今後も忘れることはないでしょう。

そしてその日も寒さと眠気と戦いながら朝を待つことになります。でもやっぱり眠気が勝ってしまうんですよね(笑)


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